Twitterが死んだあとに

Twitterがコミュニケーションツール足り得た要因になったUserStreamが廃止された。 開発者としてTwitterアプリを作ったりしたわけではないため、特にTwitter社の開発方針に文句をつけたいところがないというわけではないものの それほどTwitter社と提供するサービスに対して真摯に向き合った記憶もないが、なんとなく自分の中で一つの時代が終わりゆくので記録としていくつか文章を残しておきたい。

開発者たちが何を思っているのかはmikutterの薄い本製作委員会刊『mikutterの薄い本Vol.14 レズと青い鳥』を読むのがよい。

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Twitterとの出会い

Twitterと出会ったのは2009年のことだった。 当時NHK BS2で放映されていた『ザ☆ネットスター!』という番組に取り上げられたことがきっかけで、なんとなく登録してみた記憶がある。 この番組もやたらと不思議な番組で、なぜサブカル批評で有名な人が出ていたりといろいろとあった番組だった。 よくこの時期にあの番組に出会って、以来思想の側に傾倒しなかったものだなあという気持ちがある。 それはさておいて、インターネット上に知り合いがいたわけでもなく、ただなんとなくこれから先にやってくるイケてるアプリらしいみたいなあやふやな動機で登録したんじゃないだろうか。

当時のことといえば、広瀬香美Twitterに登録したカドなんかで有名になっており、ヒウィッヒヒーとかいう謎のあだ名が付けられ、勝間和代などがつぶやいていたりしたような気がする。 もちろんインターネット上で知り合いを作ろうというような明確な目的があるわけでもなく、インターネット有名人みたいなのの発言を見たいわけでもなかったので、登録したままでそのまま数年間放置されることになった。 一時期、『なるほど4時じゃねーの』というbotだけを動かしていた記憶がある。

Twitterにハマりだす

Twitterに本格的にハマりだしたのは、2011年になってからのことだった。 この年には東日本大震災が発生し、その中でTwitterがもたらすリアルタイム性の高い情報というものが注目を集めた年だったと思う。 今でも活動しているTwitter速報アカウントの草分けといえる『特務機関NERV』が開設されたのも、この年だった気がする。

自分はといえば、ちょうと高等専門学校に入学した年であり、高専という学校の性格なのか同じ学科の同期もあるいはサークル活動における先輩もTwitterをやっていたことでTwitterにのめりこみだしたような記憶がある。 この頃、ようやくはじめての携帯電話としてSC-02Bを手に入れたこともあって、通学の間などにTwitterに貼り付くような人生が始まったわけである。 今考えるとこのときに引き返しておけば、こんなにこじれた人間が生まれることもなかったような気がする。 当時Android向けのTwitterクライアントといえばtwiccaが最もメジャーなクライアントだったこともあり、twiccaをインストールして使っていた。 のちに、複数アカウントを管理したいと思うまではtwiccaがメインクライアントだった。 そんなこんなで、ゆったりとTwitterをやっていたわけだが、そんな人間を本格的にTwitterに叩き落とすツールが現れる。

Windows向けTwitterクライアントアプリTweenである。

Windows向けTwitterクライアントの代表といっても過言ではないこのクライアントの特徴は、異常に詰め込まれた情報とUserStreamにあった。 1ツイートが1行に対応し、それらがUserStreamの力を借りて時にはとてつもない勢いでUIの上を滑っていく。 Tweenは自分にとってTwitterを物理身体によるリアルタイムコミュニケーションを代替するにたるサービスであると思わせるのに十分な機能を持っていた。 このツールとの出会いが完全にその後ずるずるとTwitterを続ける理由を生み出したと言える。 リアルタイムでTLが更新されていくこと、もっというと自分のツイートやリプライに対してリアルタイムで反応が返ってくることが認識できるというのは革命的だった。 そう、リアルタイムである。

この頃のTwitterを眺めてみると、「コミュニケーションはすなわちリズムゲームのようなものだ」とする説を唱えるツイートが流れていた。 自分はその見解に全く同意せざるを得ない。 コミュニケーションにはリズム感が大事で、テキストベースでそれを体現するには常時サーバーなりあるいは相手方とつながっている必要がある。 その点で見ればUserStreamは、コミュニケーションのリズム感を担保することのできる極めて強力なツールだった。 結果として、ツイートを投げたほんの数秒後にふぁぼが返ってくる、あるいは10秒もしないうちに空リプが返ってくるなどの多種多様なコミュニケーションがそこに生まれたわけである。

そしてTwitterにハマりいくつかのクライアントを乗り換えていった。 WindowsはTweenからTweenがオープンソース化をやめたタイミングでOpenTweenに行き、複数アカウントの管理をし始めたタイミングでTweetDeckに流れ着いた。 Linuxは最初の頃ツイタマなどを使っていた記憶がある。いつの間にやらこれもTweetDeckに流れ着いた。WebUIは一つの正義であるという気がする。 Androidはtwiccaからtwitcleやjanetterなど様々なクライアントを試したあとにYukari for Androidにたどり着き今もそれを使っている。 これらのクライアントはいずれもUserStreamに対応している(あるいはしていた)し、UserStreamなしのTwitterというのは考えがたいものだった。 情報を発信すると同時にリアルタイムチャットツールに瞬時に切り替わるTwitterが好きだった。

そして、UserStreamの死

リアルタイム性を持ったテキストベースのコミュニケーションに魅せられたが結果、テキストベースの会話をリアルタイムで行うbotについて研究したいなどと願うようになった。 結果として、高専の卒業研究はそのような形で行うことになった。このときもUserStreamに非常に助けられた記憶がある。 UserStreamに繋ぎっぱなしで放置しておけば、人々の会話を大量に収集することができる。これらは、研究の助けになった。

2011年以降、Twitterは急速にそのユーザー数を拡大していったはずである。記憶はそうなっているが現実の事態であるか定かでない。 その結果として、Twitterは徐々に公益性を帯びるようになってきた。最近だとSNSから発信されたフェイクニュースが世間を賑わせるようになっている。 冷静な議論には十分な情報と時間が必要だ。ところが、Twitterが備えた高いリアルタイム性と、140文字に制限された情報はそのような冷静さをいともたやすく失わせる。 また、Twitterの経営上の問題もある。彼らはもはやユーザーに対してリアルタイム性のあるコミュニケーションを提供するという選択肢は取れなくなった。 あるいは、元より求めていたものはリアルタイム性の高いコミュニケーションではないのかもしれないが、その点はあまり詳しく知らない。

そして、この夏にUserStreamというリアルタイム性はTwitterから失われた。

これによって、人々が発信した内容について吟味する猶予を持つことが今までよりも少しはできるようになるのかもしれない。 それはTwitterを人々がその日のことをつぶやくツールから言論プラットフォームとしての責任ある形に移行することを促すのだろう。 ただ、それでも、多くの人は未だに与えられた情報の一部しか見ることがないし、CJKにおける140文字という制限は情報を伝えきるには難しすぎる。 十分な情報を提供するために用意されたスレッド機能も多く使いこなされているとは言い難いように感じている。 マイクロブロギングサービスを謳うにしては、発信される情報があまりにも少なすぎるのだ。

Twitterはさえずるツールであったはずなのに、利用者が増え公共性を求められる機会が増えたことで言論プラットフォームへと移行しなければならない時期が来た。 あるいはUserStreamという体力が必要なツールを維持するだけの力を失い、制約されたアクセス環境と広告という藁にすがりつくしかなくなったのかもしれない。 いわば幼年期の終わりなのかもしれない。 しかし、Twitterがこれから迎える成年期が必ずしも実りをもたらすものであるとは、個人的にはあまり考えられない。 Twitterで発信可能な極めて制約された情報が深い議論を生み出すようなプラットフォームへの移行を生み出すとは思えないし、 短文広告プラットフォームとしてその生涯を閉じるのではないかと思っている。 それでも、Twitterに魅せられ、もっと言えばUserStreamというリアルタイム性を持ったコミュニケーションに魅せられた人間としては、Twitterが少しでも長くその力を持って生き続けることを願わずにはいられない。

リアルタイムコミュニケーション中毒の行く先

Twitterからリアルタイムにコミュニケーションを行う機能はもはや永遠に失われた。 TweetDeckが残っている?REST APIを異常な回数叩くことであたかも疑似リアルタイムを作り出しているが、通知欄の挙動などを見れば到底リアルタイムとは言い難いことがわかる。 幸いにしてか、Twitter然としたSNSプラットフォームを作成しようという試みは様々に行われていた。 個人的な記憶の最も最初にあるのはGNU SocialなどのOStatusを採用した一連のマイクロブログサービス群であり、いくつかに登録した記憶がある。 これらはUIがイケておらず、また日本人ユーザーの数もそれほど多くなかったためになんだかなあと感じたことを覚えている。

そして、2017年にはmastodonが脚光を浴びた。 mastodonのような後発のサービスはTwitterの悪いところを見てとり、それらを改良して出来上がっていることから利用感もいい。 また、WebSocketを使ってサーバーに繋ぐことができるのでリアルタイム性もある程度担保されていると言える。 これから、UserStreamのようなものを使いたいと願うのであればmastodonに移住するよりほかないのだろう。